日本史研究のための史料と資料の部屋(室町時代)

『大和宗恕筆記【寛正年中記録】』

寛正年中記録とあるように、概ね寛正年間の名簿だと思われるが、「御相伴衆」については、明応元年~文亀2年頃の名簿の可能性がある。

家格史料記載名史料記載注記実名備考
大名細川右京大夫勝元朝臣管領細川勝元細川京兆家
大名斯波左兵衛佐斯波義敏斯波武衛家
大名畠山弾正少弼政長畠山政長畠山尾州家
大名山名右衛門督入道宗全山名持豊山名但馬守護家
大名細川讃岐守成之細川成之細川阿波守護家
大名一色左京大夫義直一色義直
大名畠山左衛門佐義統畠山義統畠山能登守護家
大名佐々木大膳大夫持清京極京極持清佐々木京極氏
御相伴衆山名右衛門佐 ※右衛門督か山名政豊山名但馬守護家
御相伴衆細川讃岐守細川義春細川阿波守護家。明応3年12月没
御相伴衆一色左京大夫一色義秀
御相伴衆佐々木京極大膳大夫京極政経佐々木京極氏。明応元年12月失脚
御相伴衆赤松左京大夫赤松政則明応元年、任左京大夫
御相伴衆土岐美濃守土岐成頼晩年に御相伴衆に加えられたか
御相伴衆武田大膳大夫武田元信文亀2年9月9日、御相伴衆に昇格
国持外様斯波修理大夫武衛親類(中略)
下屋形ト申也
斯波持種大野斯波氏
国持外様細川民部太輔和泉半国守護也細川持久細川和泉半国守護家
国持外様山名弾正少弼金吾一男也山名教豊山名但馬守護家。長禄4年閏9月、任伊予守
国持外様山名次郎弾正少息也山名政豊山名但馬守護家。長禄4年閏9月、任弾正少弼
国持外様山名相模守伯耆国之守護也山名教之山名伯耆守護家
国持外様細川刑部太輔 ※少輔か和泉半国守護也細川常有細川和泉半国守護家
国持外様山名兵部少輔石見国守護也山名政清山名石見守護家
国持外様仁木左京大夫伊賀国守護也仁木伊賀守護家
国持外様山名弾正忠山城国守護也山名是豊宗全子。備後山城守護
国持外様佐々木京極中務太輔 ※少輔か光禄一男也京極勝秀佐々木京極氏
国持外様富樫介加賀国守護也加賀守護
国持外様佐々木六角四郎近江国守護也六角政堯佐々木六角氏
国持外様赤松次郎法師赤松政則加賀半国守護。文明2年前後、任兵部少輔
国持外様土岐美濃守土岐成頼土岐美濃守護家
国持外様武田大膳大夫若狭武田信賢若狭武田氏
国持外様今河修理大夫駿河今川氏親か氏親が修理大夫を称するのは永正以降
国持外様山名修理大夫石見国山名教清山名石見守護家
国持之准衆細川陸奥中務太輔細川成経細川奥州家
国持之准衆佐々木加賀守京極加賀守家
国持之准衆摂津掃部頭摂津之親文正元年12月任修理大夫
外様並大外様北畠左衛門佐北畠小原氏
外様並大外様細川中務太輔准国持細川成経細川奥州家
外様並大外様新田大島左衛門佐新田大島氏
外様並大外様伊賀仁木右馬助 ※伊勢か仁木教将か伊勢仁木氏か
外様並大外様山名伊豆守
外様並大外様一色右馬頭一色右馬頭家
外様並大外様新田岩松兵庫頭岩松明純岩松礼部家
外様並大外様吉見太郎吉見義隆か能登吉見氏
外様並大外様山名宮田五郎山名宮田氏
外様並大外様丹波仁木兵部少輔 ※大輔か仁木成長丹波仁木氏
外様並大外様四条上杉中務少輔上杉政藤四条上杉氏
外様並大外様佐々木京極加賀守准国持京極政宗京極加賀守家
外様並大外様江見美作守
外様並大外様土岐民部太輔
外様並大外様赤松新蔵人赤松元久赤松七条家
外様並大外様赤松中務少輔赤松家貞赤松越後守家
外様並大外様佐々木鞍智鞍智高夏佐々木鞍智氏
外様並大外様摂津掃部頭修理大夫摂津之親文正元年12月任修理大夫
外様並大外様二階堂大夫判官二階堂忠行
外様並大外様波多野越前波多野氏
外様並大外様町野加賀守町野淳康問注所町野氏。寛正2年5月没
外様並大外様畠山次郎
外様並大外様末野
外様並大外様佐々木黒田佐々木黒田氏
外様並大外様山名摂津守
外様並大外様北野一色
外様並大外様北畠小原左兵衛佐
外様並大外様姉小路左兵衛佐
外様並大外様里見
外様並大外様山名河口
外様並大外様山名鹿野
外様並大外様山名有道
外様並大外様美濃仁木
外様並大外様鹿草細川鹿草氏
外様並大外様細川土佐守
外様並大外様細川観音寺
外様並大外様細川上野介
外様並大外様細川駿河守
外様並大外様桃井右馬頭
外様並大外様赤松上月
外様並大外様赤松葉山
外様並大外様土岐佐郎木
外様並大外様佐々木多田
外様並大外様佐々木尼子
外様並大外様土岐鷲巣
外様並大外様土岐ソカヤ(曽我屋)
外様並大外様山名磯部
大外様細川土佐守
大外様細川観音寺
大外様山名鹿野
大外様山名磯部
大外様西佐々木七頭
大外様江見
大外様伊勢関氏
大外様長野伊勢長野氏
大外様土肥
大外様畠山日向畠山日向守家
大外様今河堀越今川堀越氏
大外様里見
御供衆細川右馬頭入道細川持賢細川典厩家
御供衆細川下野入道細川持春細川野州家。寛正7年2月没
御供衆畠山宮内太輔畠山教国
御供衆一色兵部少輔左京兆義直舎弟一色義遠
御供衆山名宮内少輔山名豊之山名伯耆守護家
御供衆細川上総介備中守護細川氏久細川備中守護家
御供衆細川民部少輔細川教春細川野州家
御供衆大舘兵庫頭大舘教氏大舘兵庫頭家。寛正4年9月没
御供衆畠山播磨守畠山教元畠山播磨守家
御供衆山名七郎左衛門佐因幡守護山名豊氏山名因幡守護家
御供衆細川讃岐九郎讃州成之舎弟細川政之か細川阿波守護家
御供衆一色五郎一色政氏
御供衆上野民部太輔上野持頼上野民部大輔家
御供衆細川淡路守淡路守護細川成春細川淡路守護家
御供衆畠山中務少輔畠山政光畠山中務少輔家
御供衆赤松伊豆刑部少輔赤松貞祐赤松伊豆守家
御供衆武田治部少輔武田国信若狭武田氏
御供衆富樫中務太輔富樫泰成
御供衆赤松弥次郎赤松上月直祐か赤松上月治部少輔家
御供衆伊勢守伊勢貞親京都伊勢氏政所執事家
御供衆伊勢備中守伊勢貞藤京都伊勢氏備中守家
御供衆伊勢兵庫助伊勢貞宗京都伊勢氏政所執事家

出典:木下聡『史料紹介「大和家蔵書」所収「大和大和守晴完入道宗恕筆記」』(東京大学日本史学研究室紀要21巻、2017年3月)