日本史研究のための史料と資料の部屋(室町時代)

久下文書『相伴衆・国持外様衆等交名』

末尾に応仁元年三月の日付があるが、おおむね寛正年間の名簿だと思われる。


()内の文字は脱字のため、『大和宗恕筆記【寛正年中記録】』を元に補った。
役職史料記載名実名備考
御相伴衆管領細川勝元細川京兆家
御相伴衆武衛斯波義敏か斯波武衛家
御相伴衆細川讃岐守成之細川成之細川阿波守護家
御相伴衆一色左京(大夫)一色義直
御相伴衆畠山左衛門佐義統畠山義統畠山能登守護家
御相伴衆佐々木(京)極大膳大夫持清京極持清佐々木京極氏
国持外様衆山名弾正少弼山名政豊山名但馬守護家。長禄4年閏9月、任弾正少弼
国持外様衆山名相模守山名教之山名伯耆守護家
国持外様衆細川民部少輔 ※大輔の誤記細川持久細川和泉半国守護家
国持外様衆細川刑部少輔細川常有細川和泉半国守護家
国持外様衆山名兵部少輔山名政清山名石見美作守護家
国持外様衆山名弾正忠山名是豊山名宗全子。備後山城守護
国持外様衆赤松次郎法師赤松政則加賀半国守護。文明2年前後、任兵部少輔
国持外様衆土岐美濃守土岐成頼土岐美濃守護家
国持外様衆佐々木六角六角亀寿丸(高頼)佐々木六角氏
国持外様衆伊賀仁木四郎仁木政長仁木伊賀守護家
国持外様衆武田大膳大夫武田信賢若狭武田氏
国持外様衆佐々木京極中務少輔京極勝秀佐々木京極氏
国持外様衆冨樫介富樫政親加賀半国守護
外様衆(北畠)左衛門佐北畠小原氏
外様衆細川中務大輔細川成経細川奥州家
外様衆(新田大島)左衛門佐新田大島氏
外様衆伊勢仁木左馬助 ※右馬助か仁木教将か伊勢仁木氏
外様衆(山名伊)豆守山名伊豆守家
外様衆一色右馬頭一色右馬頭家
外様衆(新田岩)松兵庫頭岩松明純か岩松礼部家。文正2年1月、任兵庫頭
外様衆吉見太郎吉見義隆か能登吉見氏
外様衆山名宮田九郎 ※五郎か山名宮田氏
外様衆丹波仁木兵部大輔仁木成長丹波仁木氏
外様衆多田左馬助佐々木多田氏
外様衆土岐民部大輔
外様衆江見美作守
外様衆四条上杉中務少輔上杉政藤四条上杉氏
外様衆佐々木京極加賀守京極政宗京極加賀守家
外様衆赤松新蔵人赤松元久赤松七条家
外様衆赤松中務少輔赤松家貞赤松越後守家
外様衆佐々木鞍智鞍智高春佐々木鞍智氏。寛正3年6月出家
外様衆土岐五郎
外様衆摂津掃部頭摂津之親文正元年12月任修理大夫
外様衆二階堂大夫判官二階堂政行
外様衆町野加賀守町野淳康問注所町野氏。寛正2年5月没
外様衆波多野越前波多野氏
御供衆細川右馬頭入道細川持賢細川典厩家
御供衆細川下野入道細川持春細川野州家。寛正7年2月没
御供衆畠山宮内大輔畠山教国
御供衆一色兵部少輔一色義遠
御供衆山名宮内少輔山名豊之山名伯耆守護家
御供衆細川兵部大輔細川勝久細川備中守護家
御供衆細川民部少輔細川教春細川野州家
御供衆大舘兵庫頭大舘教氏大舘兵庫頭家。寛正4年9月没
御供衆畠山播磨守畠山教元畠山播磨守家
御供衆山名七郎山名豊氏山名因幡守護家
御供衆細川讃岐九郎細川政之か細川阿波守護家
御供衆一色五郎一色政氏
御供衆上野民部大輔上野持頼上野民部大輔家
御供衆細川淡路守細川成春細川淡路守護家
御供衆畠山中務少輔畠山政光畠山中務少輔家
御供衆赤松(伊豆刑部少)輔赤松貞祐赤松伊豆守家
御供衆武田治部少輔武田国信若狭武田氏
御供衆富樫中務大輔富樫泰成
御供衆赤松弥次郎赤松直祐か赤松上月治部少輔家か
御供衆伊勢守伊勢貞親京都伊勢氏政所執事家
御供衆伊勢備中守伊勢貞藤京都伊勢氏備中守家
御供衆伊勢兵庫助伊勢貞宗京都伊勢氏政所執事家

出典:久下文書『相伴衆・国持外様衆等交名』