日本史研究のための史料と資料の部屋(室町時代)

嘉吉元年 足利義教、赤松満祐亭御成供奉人

嘉吉元年(1441)6月24日の足利義教の赤松満祐亭の御成に供奉した面々

家格役職史料記載名実名備考
諸大名為御相伴(建内記)細川右京大夫持之細川持之逃走(看聞日記)
諸大名為御相伴(建内記)畠山左馬助畠山持永
諸大名為御相伴(建内記)山名右衛門佐山名持豊手負(斎藤基恒日記)
諸大名為御相伴(建内記)細川讃岐守細川持常逃走(看聞日記)
諸大名為御相伴(建内記)大内大内持世重傷を負い後日死亡
諸大名為御相伴(建内記)京極加賀入道京極高数討死
御相伴(建内記)左衛門督実雅卿正親町三条実雅手負(斎藤基恒日記)
近習輩(建内記)細川下野守細川持春片腕を切り落とされる
近習輩(建内記)山名中務大輔熙貴山名熙貴討死
赤松伊豆赤松貞村逃走(看聞日記)
一色五郎一色教親逃走(看聞日記)
走衆(走衆故実)市三郎討死(走衆故実)
走衆(走衆故実)遠山次郎討死(走衆故実)
走衆(走衆故実)塩冶五郎左衛門尉塩冶光清か
走衆(走衆故実)伊勢平三左衛門尉伊勢盛信か
走衆(走衆故実)小田図書助
走衆(走衆故実)山本

出典:『建内記』『看聞日記』『斎藤基恒日記』『走衆故実』