日本史研究のための史料と資料の部屋(室町時代)

群書類従『永禄六年諸役人附 光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚』

異本として『万松院殿以来義輝公御代当参衆并足軽以下衆』などがある。
後半部分は足利義昭期(1567~68年頃)の幕臣の名簿とされる

役職史料記載名実名備考
御供衆大館伊予守晴忠大舘晴忠大館高信の子
御供衆上野陸奥守信忠※ 任佐渡守上野信恵(信秀)か信恵の誤記か
御供衆細川兵部大輔藤孝細川藤孝細川伊豆守家
御供衆一色式部少輔藤長一色藤長一色式部家
御供衆上野大蔵大輔家為※上野豪為か永禄諸役人付けでは豪孝とある
御供衆武田刑部大輔信実武田信実若狭武田氏。元光の子
御供衆佐々木治部大輔高成 京極弟京極高成佐々木京極氏
御供衆一色播磨守晴家一色晴家
御供衆武田治部少輔信堅武田信堅若狭武田氏。元光の弟か
御供衆和田伊賀守惟政和田惟政
御供衆伊勢宮千代
御供衆畠山次郎
御供衆上野民部大輔量忠※上野量忠永禄諸役人付では憲忠と誤記
御部屋衆大館源五郎宗貞 任治部少輔大舘宗貞
御部屋衆三淵伊賀入道宗薫三淵晴員
御部屋衆三淵弾正左衛門尉藤英 任大和守三淵藤英三淵晴員子
御部屋衆朽木刑部少輔藤綱朽木藤綱
御部屋衆杉原上総介長盛杉原長盛京都杉原氏
御部屋衆荒川与三輝宗荒川輝宗
御部屋衆三淵弥四郎秋家三淵秋豪か三淵藤英子
御部屋衆一色三郎秋成一色秋成
御部屋衆堀 孫八郎 当御若衆也
御部屋衆二階堂一色駿河守孝季※一色孝季永禄諸役人付では孝秀とある
御部屋衆上野中務太輔秀政上野秀政足利義昭に備後鞆まで同行
御部屋衆一色四郎秋孝一色秋孝
御部屋衆一色刑部少輔氏明 吉良殿弟一色氏明
御部屋衆上野宮内少輔
御部屋衆伊勢上野介
御部屋衆伊勢幸松
申次飯川山城守信堅飯川信堅
申次大和治部少輔孝宗大和孝宗
申次一色市正信忠一色信忠
申次矢嶋越中守定行矢島定行
申次安東蔵人泰職安東泰職
申次海老名中務少輔
詰衆番衆一番曾我兵庫頭助乗曽我助乗
詰衆番衆一番楢葉若狭守晴永※楢葉晴永永禄諸役人付では時永とある
詰衆番衆一番曾我上野介曽我晴助足利義昭に備後鞆まで同行
詰衆番衆一番馬田彦次郎
詰衆番衆一番本郷下総守信弼本郷信弼
詰衆番衆一番中澤玄蕃允
詰衆番衆一番朽木左兵衛尉成綱朽木成綱佐々木朽木氏
詰衆番衆一番竹藤兵部少輔藤兼竹藤藤兼
詰衆番衆一番佐分利玄蕃允
詰衆番衆一番本郷治部少輔信能本郷信能
詰衆番衆一番本郷又三郎方秀本郷秀方か
詰衆番衆一番馬田右京進※永禄諸役人付では左京進とある
詰衆番衆二番後藤治部少輔広綱後藤広綱
詰衆番衆二番大草三河守公広大草公広
詰衆番衆二番安威兵部少輔藤備安威藤脩
詰衆番衆二番結城民部大輔貞胤結城貞胤
詰衆番衆二番沼田弥七郎統兼沼田統兼若狭沼田氏
詰衆番衆二番沼田勘解由左衛門尉清延沼田清延若狭沼田氏
詰衆番衆二番大草与三郎秋長大草秋長
詰衆番衆二番結城又七郎忠達結城忠達
詰衆番衆二番沼田徳松
詰衆番衆二番飯川弥四郎秋直※飯川秋直永禄諸役人付では忠直とある
詰衆番衆二番安東宮満丸
詰衆番衆二番山下
詰衆番衆三番真下式部少輔晴英真下晴英
詰衆番衆三番飯河治部少輔秋奥飯川秋共
詰衆番衆三番杉原与三
詰衆番衆三番千秋左近将監千秋輝季
詰衆番衆三番彦部孫三郎輝信彦部輝信
詰衆番衆三番矢嶋兵部大輔賢行矢島賢行
詰衆番衆三番松田将監頼秀松田頼秀
詰衆番衆三番矢嶋中務少輔慶行矢島慶行
詰衆番衆三番杉原新兵衛尉吉盛杉原吉盛京都杉原氏
詰衆番衆三番真下宮内少輔元種真下元種
詰衆番衆三番飯河幸増丸
詰衆番衆三番小林修理亮
詰衆番衆三番千秋月斎千秋晴季
詰衆番衆四番金山常陸介晴実金山晴実
詰衆番衆四番田村刑部大輔
詰衆番衆四番松任
詰衆番衆四番町野左近大夫
詰衆番衆五番狩野伊豆守光茂狩野光茂
詰衆番衆五番三上兵庫頭輝房三上輝房
詰衆番衆五番小坂次郎左衛門尉章利小坂章利
詰衆番衆五番狩野孫次郎輝茂狩野輝茂
詰衆番衆五番小田刑部少輔輝長小田輝長
詰衆番衆五番下津屋孫三郎輝信下津屋輝信
詰衆番衆五番久世孫九郎※永禄諸役人付では弥九郎
詰衆番衆五番進士知法師
詰衆番衆五番真木嶋孫六真木島昭光足利義昭に備後鞆まで同行
詰衆番衆五番宇治小路※宇治大路の誤記か
詰衆番衆五番岩山与九郎秀信岩山秀信
奉行衆諏訪信濃守晴長諏訪晴長
奉行衆飯尾加賀守盛就飯尾盛就
奉行衆飯尾右馬助貞遥飯尾貞遥
奉行衆諏方神兵衛尉俊郷諏訪俊郷
奉行衆松田九郎左衛門尉頼長松田頼長
奉行衆二階堂山城守晴泰二階堂晴泰
奉行衆波多野彦五郎通秀波多野通秀
奉行衆大舘上総介氏虎大舘氏虎
奉行衆一色七郎勝貴一色勝貴
奉行衆竹田梅松軒竹田定雄
奉行衆耆波宮内大輔國任耆波国任
足軽衆山口勘助
足軽衆三上(式部丞)
足軽衆一ト軒
足軽衆鵜飼※永禄諸役人付では移飯
足軽衆澤村
足軽衆野村越中守
足軽衆内山弥五太兵衛尉
足軽衆丹 彦十郎
足軽衆長井兵部少輔
足軽衆薬師寺
足軽衆柳澤柳沢元政か
足軽衆玖蔵主※永禄諸役人付では珍蔵主
足軽衆森坊
足軽衆明智
奈良御供衆龍雲院
奈良御供衆北坊
奈良御供衆延俊坊
奈良御供衆治部卿
奈良御供衆柏蔵主
奈良御供衆松井法印
奈良御供衆同 民部卿
奈良御供衆松井少将
奈良御供衆米田源三郎
奈良御供衆清水清七郎※永禄諸役人付では源七郎
奈良御供衆藤村勘六
奈良御供衆保利帯刀左衛門尉
奈良御供衆同 孫九郎
奈良御供衆同 孫市
小者千若
小者梅若
小者鶴若
小者熊若
小者龍若
小者諏方神四郎永禄諸役人付では漏れている
小者飯尾三郎永禄諸役人付では漏れている
小者布施弥太郎永禄諸役人付では漏れている
小者松田左衛門大夫永禄諸役人付では漏れている
小者松田主計允永禄諸役人付では漏れている
小者飯尾与三左衛門尉永禄諸役人付では漏れている
小者松田永禄諸役人付では漏れている
同朋衆春阿弥
同朋衆万阿弥
同朋衆祐阿弥
同朋衆歳阿弥
同朋衆福阿弥
同朋衆台阿弥
同朋衆輪阿弥
御末之男高橋新九郎
御末之男疋田弥七郎
御末之男御倉正実
御末之男掟運
外様大名国持衆
家格史料記載名史料記載注実名備考
摂津守中原晴門朝臣摂津晴門
細川六郎延元細川昭元細川京兆家
畠山左衛門督秋政畠山秋高畠山尾州家
山名右衛門佐豊国但馬山名豊国永禄諸役人付では漏れている
一色左京大夫※丹後一色義道永禄諸役人付では左近大夫と誤記
赤松次郎義祐※改左京大夫赤松義祐永禄諸役人付では山名次郎と誤記
御相伴武田孫次郎元次若狭武田元明(元次)若狭武田氏
御相伴佐々木左京太夫義賢※近江六角義賢永禄諸役人付では左衛門大夫と誤記
御相伴佐々木右衛門督義弼※六角義治永禄諸役人付では右衛門尉と誤記
御相伴朝倉左衛門督義景越前朝倉義景
御相伴大友左衛門督入道宗麟豊後大友義鎮
同 五郎義統大友義統
御相伴北条相模守氏康相模北条氏康
北条左京大夫氏政北条氏政
御相伴今川上総介氏真駿河今川氏真
上杉弾正少弼輝虎越後上杉輝虎
御相伴武田大膳大夫入道晴信甲斐武田晴信
畠山修理大輔義統能登畠山義続
一色治部大輔龍興※美濃斎藤龍興永禄諸役人付では改義紀とある
北畠中納言具教卿伊勢国司北畠具教
同少将具房朝臣北畠具房
長野若狭守伊勢長野藤定
姉小路中納言自綱卿飛騨
姉小路宰相
織田尾張守信長尾張織田信長
仁木左京大夫長政丹波 ※伊賀の誤記か仁木長政伊賀仁木氏か
嶋津陸奥守貴久薩摩島津貴久
嶋津修理大夫義久島津義久
御相伴伊東三位入道義祐日向伊東義祐
伊東左京大夫義益伊東義益
相良修理大夫義頼肥前 ※肥後の誤記相良義陽
毛利陸奥守元就安芸毛利元就
毛利少輔太郎輝元毛利輝元
吉川駿河守元春吉川元春
小早川左衛門佐隆景小早川隆景
尼子三郎四郎義久出雲尼子義久
松浦肥前守隆信肥前平戸松浦隆信
河野左京大夫通直伊与河野道宣
種子島左近大夫入道種子島時尭
宇都宮遠江守豊綱伊与宇都宮豊綱
有馬修理太夫義貞肥前有馬義貞
有馬太郎義純有馬義純
嶋津薩摩守義俊島津義俊(義虎)島津薩州家
三吉安房守隆亮備後※三吉隆亮永禄諸役人付では肥後と誤記
宗 刑部大輔対馬宗 義調
三好左京大夫義継阿波三好義継
伊達次郎晴宗 任左京大夫奥州伊達晴宗
芦名修理太夫盛高奥州芦名盛氏
北条助五郎氏規伊豆北条氏規
松平蔵人元康三河松平元康永禄9年12月に徳川三河守家康
水野下野守信元三河水野信元
佐脇上野介※ 佐分利か尾州大野※ 若洲大飯か武藤友益か
仁木左兵衛督義持伊勢当奉公仁木義広か丹波仁木氏か
関東衆
史料記載名史料記載注実名
古河足利左馬頭義氏足利義氏
簗田中務大輔武州
里見安房守安房
千葉介胤富下総千葉胤富
庁南上総介上総
佐竹修理大夫義昭常陸佐竹義昭
小田讃岐守常陸
宇都宮弥三郎下野
佐野小太郎下野
横瀬信濃守由良
長尾但馬守上野
太田美濃守資正武州太田資正
常陸大掾清就常陸府中
市田太郎上州
上杉正栄上州
葛西奥州
氏家修理亮奥州大崎
南部大膳亮奥州
九戸五郎奥州二階堂 ※誤記か
最上出羽守奥州
相馬次郎奥州
岩城掃部助奥州
長沼淡路守下野
結城左衛門尉下総
成田下総守長泰武蔵成田長泰

【関東衆】は『万松院殿以来義輝公御代当参衆并足軽以下衆』には無く、『永禄六年諸役人附』のみにある。これは後世の加筆とされる。

出典