日本史研究のための史料と資料の部屋(鎌倉時代)

鎌倉幕府 的始射手一覧

 

射手実名備考
治承4年(1180年)12月20日下河辺庄司行平下河辺行平
愛甲三郎季隆愛甲季隆
橘太公忠橘 公忠橘公長の子
橘次公成橘 公業橘公長の子。肥前渋江氏祖
和田太郎義盛和田義盛
工藤小次郎行光工藤行光厨川工藤氏
文治4年(1188年)1月6日榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
和田太郎義盛和田義盛
愛甲三郎季隆愛甲季隆
橘次公成橘 公業橘公長の子。肥前渋江氏祖
文治5年(1189年)1月9日下河辺庄司行平下河辺行平
曽我太郎祐信曽我祐信
小山七郎朝光結城朝光
和田三郎宗実和田宗実和田義盛弟
藤沢次郎清近藤沢清親信濃諏訪氏流
橘次公成橘 公業橘公長の子。肥前渋江氏祖
三浦十郎義連三浦義連三浦氏流佐原氏
海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
和田太郎義盛和田義盛
建久2年(1191年)1月5日下河辺庄司行平下河辺行平
榛谷四郎重朝榛谷重朝
和田左衛門尉義盛和田義盛
藤沢次郎清親藤沢清親信濃諏訪氏流
建久3年(1192年)1月5日下河辺庄司行平下河辺行平
橘次公成橘 公業橘公長の子。肥前渋江氏祖
野三左衛門義成小野義成横山党
愛甲三郎季隆愛甲季隆
榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
藤沢次郎清近藤沢清親信濃諏訪氏流
建久5年(1194年)1月9日下河辺庄司行平下河辺行平
和田左衛門尉義盛和田義盛
結城七郎朝光結城朝光
榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
藤沢次郎清近藤沢清親信濃諏訪氏流
正治2年(1200年)1月7日榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
八田六郎知尚八田知尚承久の乱では、上皇方として討死
小鹿嶋橘次公成橘 公業橘公長の子。肥前渋江氏祖
藤沢次郎清親藤沢清親信濃諏訪氏流
工藤小次郎行光工藤行光厨川工藤氏
加藤彌太郎光政加藤光政
正治3年(1201年)1月12日榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
小澤次郎重政小沢重政秩父氏流
海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
佐々木小三郎盛季佐々木盛季佐々木盛綱子
望月三郎重隆望月重隆滋野氏流
中野五郎能成中野能成信濃中野氏
渋谷次郎高重渋谷高重
工藤小次郎行光工藤行光厨川工藤氏
和田平太胤長和田胤長和田義盛甥
和田三郎朝盛和田朝盛和田義盛孫
建仁2年(1202年)1月3日和田平太胤長和田胤長和田義盛甥
市河五郎市河行重
海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
中野四郎信濃中野氏
榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
糟屋太郎糟屋有季か
建仁3年(1203年)1月3日海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
和田兵衛尉常盛和田常盛和田義盛子
筑後六郎知尚八田知尚承久の乱では、上皇方として討死
和田平太胤長和田胤長和田義盛甥
諏訪大夫盛澄諏訪盛澄金刺盛澄とも
望月三郎重隆望月重隆滋野氏流
建仁3年(1203年)10月8日和田左衛門尉義盛和田義盛
海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
望月三郎重隆望月重隆滋野氏流
愛甲三郎季隆愛甲季隆
市河五郎行重市河行重
工藤小次郎行光工藤行光厨川工藤氏
藤沢次郎清親藤沢清親信濃諏訪氏流
小山七郎朝光結城朝光
和田平太胤長和田胤長和田義盛甥
建仁4年(1204年)1月10日和田平太胤長和田胤長和田義盛甥
榛谷四郎重朝榛谷重朝秩父氏流
諏訪大夫盛隆 ※盛澄の誤記諏訪盛澄金刺盛澄とも
海野小太郎幸氏海野幸氏滋野氏流
望月三郎重隆望月重隆滋野氏流
吾妻四郎助光吾妻助光
元久2年(1205年)1月3日和田平太和田胤長和田義盛甥
藤沢四郎藤沢四郎
佐々木小三郎佐々木盛季
市河五郎市河行重
筑後六郎八田知尚承久の乱では、上皇方として討死
荻野次郎
承元3年(1209年)1月6日和田平太胤長和田胤長和田義盛甥
望月三郎重隆望月重隆滋野氏流
平嶋太郎
筑後六郎知尚八田知尚承久の乱では、上皇方として討死
吾妻四郎助光吾妻助光
承元5年(1211年)1月9日和田平太和田胤長和田義盛甥
市河五郎市河行重
海野小太郎海野幸氏滋野氏流
愛甲三郎愛甲季隆
工藤小次郎工藤行光厨川工藤氏
藤沢四郎
建暦2年(1212年)1月11日小国源兵衛三郎小国頼連(頼継)
工藤小次郎工藤行光厨川工藤氏
海野小太郎海野幸氏滋野氏流
藤沢四郎
佐原又太郎兵衛尉佐原秀泰三浦氏流佐原氏
市河五郎市河行重
愛甲三郎愛甲季隆
佐々木小三郎佐々木盛季
和田平太和田胤長和田義盛甥
佐貫五郎佐貫広綱藤姓足利氏流
承久4年(1222年)1月7日駿河次郎泰村三浦泰村
伊東左衛門次郎祐朝伊東祐朝早川祐朝とも
小笠原六郎時長小笠原時長小笠原氏流伴野氏祖
横溝五郎資重横溝資重
橘 新左衛門尉公幸橘 公幸
横溝六郎義行横溝義行
佐々木加地八郎信朝加地信朝佐々木加地氏
本間四郎光忠本間光忠
佐原太郎経連佐原経連佐原盛連子。猪苗代氏祖
工藤中務次郎長光工藤長光厨川工藤氏
貞応2年(1223年)1月5日駿河次郎三浦泰村
伊賀四郎左衛門尉伊賀朝行「伊賀氏の変」後、九州へ流される
下河辺左衛門次郎
佐々木加地八郎加地信朝
嶋津三郎兵衛島津忠時(忠義)
横溝六郎横溝義行
横溝五郎横溝資重
本間四郎本間光忠
武田六郎一条信長武田信光次男
原 左衛門尉
安貞3年(1229年)1月15日武田六郎一条信長武田信光次男
岡部左衛門四郎
佐々木八郎
藤沢四郎
本間次郎左衛門尉
平 左衛門三郎
南條七郎二郎
渋谷六郎
駿河四郎三浦家村
神地四郎
佐貫次郎
横溝六郎
寛喜2年(1230年)1月10日結城七郎結城朝光
本間太郎左衛門尉
岡部左衛門四郎
吉良次郎
横溝六郎横溝義行
内藤左衛門六郎
文暦2年(1235年)1月9日三浦駿河次郎三浦泰村
岡部左衛門四郎
佐々木八郎左衛門尉
神地四郎
武田六郎一条信長武田信光次男
横溝六郎横溝義行
嘉禎3年(1237年)1月11日駿河次郎三浦泰村
佐原次郎兵衛尉
下河辺左衛門尉
伊賀太郎兵衛尉
本間次郎左衛門尉
広河五郎
横溝六郎横溝義行
原 三郎
小笠原六郎小笠原時長小笠原氏流伴野氏祖
松丘四郎
嘉禎4年(1238年)1月20日小笠原六郎小笠原時長小笠原氏流伴野氏祖
藤沢四郎
横溝六郎横溝義行
松岡四郎
岡部左衛門四郎
本間次郎左衛門尉
三浦又太郎左衛門尉三浦氏村
秋葉小三郎
下河辺左衛門尉
山田五郎
暦仁2年(1239年)1月5日三浦駿河五郎左衛門尉三浦資村
佐貫左衛門次郎
佐原四郎左衛門尉蘆名光盛三浦氏流佐原氏流
大河戸太郎兵衛尉
南條八郎兵衛尉
平 左衛門四郎
藤沢四郎
本間源内左衛門尉
横溝六郎横溝義行
原 三郎
小笠原三郎伴野時直小笠原氏流伴野氏
神地四郎
延応2年(1240年)1月6日佐々木八郎左衛門尉
橘 次郎右衛門尉
神地四郎
小諸左衛門尉
本間源内左衛門尉
広河五郎
下河辺左衛門次郎
秋庭小次郎
横溝六郎横溝義行
藤沢四郎
仁治2年(1241年)1月5日下河辺左衛門尉
佐原六郎兵衛尉佐原時連
信濃三郎左衛門尉
海老名左衛門三郎
渋谷六郎
工藤三郎
横溝六郎
吉庄四郎
小笠原六郎
岡部左衛門四郎
仁治4年(1243年)1月10日佐原七郎左衛門尉佐原政連
渋谷六郎
中村伊達太郎
山内左衛門次郎
真坂五郎次郎真板経朝
小河左衛門尉
神地四郎
対馬太郎
岡部左衛門四郎
肥田四郎左衛門尉
寛元2年(1244年)1月5日武田七郎
岡部左衛門四郎
桑原平内
早河太郎
真坂五郎次郎真坂経朝
対馬太郎
肥田四郎左衛門尉
工藤三郎
小野沢次郎
山内左衛門次郎
寛元3年(1245年)1月9日駿河三郎三浦光村
印東次郎
工藤八郎
横溝七郎
井伊介
小河左衛門尉
真坂次郎
棗 源太棗 源太
小笠原七郎
山内兵衛三郎
寛元4年(1246年)1月6日大井太郎大井光長小笠原氏流大井氏
平井七郎
小笠原六郎
長井弥太郎
波多野小次郎
工藤六郎
佐貫次郎兵衛尉
真坂五郎次郎真坂経朝
佐原七郎左衛門尉佐原政連
春日部次郎
建長3年(1251年)1月8日武田五郎七郎武田政平岩崎信隆とも
早河次郎太郎早川祐泰
横溝七郎五郎横溝忠光
桑原平内桑原盛時
布施三郎布施行忠
小野沢二郎
平井八郎平井清頼
薩摩九郎
真坂五郎二郎真坂経朝
池田五郎
佐貫弥四郎
諏方兵衛四郎諏訪盛頼
多賀谷弥五郎多賀谷重茂
工藤右近三郎
河野右衛門四郎
一色四郎左衛門尉
棗 右近三郎
建長3年(1251年)1月10日武田五郎七郎政平武田政平岩崎信隆とも
早河二郎太郎祐泰早川祐泰
横溝七郎五郎忠光横溝忠光
桑原平内盛時桑原盛時
多賀谷弥五郎重茂多賀谷重茂
諏訪兵衛四郎盛頼諏訪盛頼
布施三郎行忠布施行忠
真坂五郎二郎経朝真坂経朝
棗右近三郎
平井八郎清頼平井清頼
建長4年(1252年)1月14日二宮次郎時光二宮時光
平井八郎清頼平井清頼
桑原平内盛時桑原盛時
山城三郎左衛門尉忠氏
棗右近三郎
真坂五郎次経朝真坂経朝
横溝七郎五郎忠光横溝忠光
布施三郎行忠布施行忠
武田七郎五郎政平武田政平岩崎信隆とも
早河次郎太郎祐泰早川祐泰
建長5年(1253年)1月14日平井八郎平井清頼
早河次郎太郎早川祐泰
佐貫弥四郎
真坂五郎次郎真坂次郎
佐々宇左衛門五郎
海野矢四郎
佐貫七郎
須枳兵衛四郎周枳頼泰
多賀谷弥五郎多賀谷重茂
山城三郎左衛門尉
建長6年(1254年)1月14¥¥4日渋谷六郎
佐々宇左衛門三郎
佐貫七郎
松岡小三郎
諏方四郎兵衛尉諏訪盛頼
海野矢四郎
周枳兵衛四郎周枳頼泰
勅使河原小三郎
南條左衛門四郎
布施三郎布施行忠
秩父弥五郎
建長8年(1256年)1月9日上野十郎朝村結城朝村
早河次郎太郎早川祐泰
岡本新兵衛尉岡本重方
平嶋弥五郎
河野五郎兵衛尉
工藤八郎四郎
布施三郎布施行忠
横溝七郎五郎
多賀谷弥五郎多賀谷重茂
藤沢左近将監藤沢時親
大瀬三郎左衛門尉
平 新左衛門三郎
小嶋弥次郎小島家範
南條兵衛六郎
渋谷左衛門太郎
海野矢四郎
正嘉2年(1258年)1月11日二宮弥次郎時光二宮時光
知久左衛門五郎信貞知久信貞
小笠原彦次郎政氏小笠原政氏
横路左衛門次郎長重横地長重
平 新左衛門三郎頼綱平 頼綱
加久帳小次郎
周枳兵衛四郎頼泰周枳頼泰
小嶋弥次郎家範小島家範
多賀谷弥五郎重茂多賀谷重茂
横溝弥七郎横溝忠景
藤沢左近将監時親藤沢時親
横溝七郎五郎忠光横溝忠光
岡本新兵衛尉重方岡本重方
正嘉2年(1258年)1月15日二宮弥次郎時光二宮時光
横路左衛門次郎長重横地長重
山城三郎左衛門尉近忠山城近忠
知久左衛門五郎信貞知久信貞
藤沢左近将監時親藤沢時親
多賀谷弥五郎重茂多賀谷重茂
周枳兵衛四郎頼泰周枳頼泰
横溝弥七郎忠景横溝忠景
岡本新兵衛尉重方岡本重方
小嶋弥次郎家範小島家範
正嘉3年(1259年)1月12日早河次郎太郎早川祐泰
渋谷左衛門太郎渋谷朝重
平嶋弥五郎平嶋助経
岡本新兵衛尉岡本重方
佐貫七郎佐貫広胤
藤沢左衛門五郎藤沢光親
藤沢左近将監藤沢時親
海野矢四郎海野助氏
桑原平内桑原盛時
工藤弥三郎工藤清光
本間弥四郎左衛門尉本間忠時
柏間左衛門次郎柏間季忠
工藤八郎
正嘉3年(1259年)1月14日早河次郎太郎祐泰早川祐泰
渋谷左衛門太郎朝重渋谷朝重
平嶋弥五郎助経平嶋助経
岡本新兵衛尉重方岡本重方
佐貫七郎広胤佐貫広胤
藤沢左衛門五郎光朝藤沢光朝
藤沢左近将監時親藤沢時親
海野矢四郎助氏海野助氏
桑原平内盛時桑原盛時
工藤弥三郎清光工藤清光
本間弥四郎左衛門尉忠時本間忠時
柏間左衛門次郎季忠柏間季忠
文応2年(1261年)1月9日二宮弥次郎二宮時光
横地左衛門次郎横地長重
桑原平内桑原盛時
周枳兵衛四郎周枳頼泰
渋谷新左衛門尉渋谷朝重
望月余一望月師重
横溝弥七横溝忠景
平島弥五郎平嶋助経
本間弥四郎左衛門尉本間忠時
小島又次郎
平井又次郎平井有家
小曽六郎小曽隆俊
文応2年(1261年)1月14日二宮弥次郎時光二宮時光
横地左衛門次郎長重横地長重
本間弥四郎忠時本間忠時
小島弥次郎家範小島家範
望月余一師重望月師重
周枳兵衛四郎頼泰周枳頼泰
平井又次郎有家平井有家
小曽六郎隆俊小曽隆俊
渋谷新左衛門尉朝重渋谷朝重
平島弥五郎助経平島助経
弘長3年(1263年)1月8日山城三郎左衛門尉
早河次郎太郎早川祐泰
渋谷新左衛門尉
横地左衛門次郎横地長重
伊東余一伊東祐頼木脇氏祖
富士三郎五郎富士員時
松岡左衛門四郎
平島弥五郎平嶋助経
伊東新左衛門尉
小沼五郎兵衛尉
小嶋弥次郎小島家範
渋谷右衛門四郎渋谷清重
柏間左衛門次郎
本間対馬次郎兵衛尉
落合四郎左衛門尉
神林兵衛三郎
早河六郎早川祐頼
下山兵衛太郎
弘長3年(1263年)1月8日山城左衛門親忠
早河次郎太郎祐泰早川祐泰
横地左衛門次郎師重横地師重
対馬次郎兵衛尉忠泰
渋谷右衛門四郎清重渋谷清重
伊東与一祐頼伊東祐頼木脇氏祖
小沼五郎兵衛尉孝幸小沼孝幸
早河六郎祐頼早川祐頼
松岡左衛門四郎明家 ※時家か松岡時家か
富士三郎五郎員時富士員時
渋谷新左衛門尉朝重渋谷朝重
平嶋弥五郎助経平嶋助経
文永2年(1265年)1月12日二宮弥次郎時元二宮時光
横地左衛門次郎師重横地師重
波多野八郎朝義波多野朝義
早河六郎祐頼早川祐頼
松岡左衛門次郎時家松岡時家
柏間左衛門次郎行泰柏間行泰
小沼五郎兵衛尉孝幸小沼孝幸
海野弥六泰信海野泰信
渋谷新左衛門尉朝重渋谷朝重
平嶋弥五郎助経平嶋助経
文永3年(1266年)1月11日伊東刑部左衛門尉
渋谷新左衛門尉渋谷朝重
横地左衛門次郎横地師重
小沼五郎兵衛小沼孝幸
早河次郎太郎早川祐泰
柏間左衛門次郎
海野弥六海野泰信
堤 又四郎
山城三郎左衛門尉
平嶋弥五郎平嶋五郎
出典:『吾妻鏡』