日本史研究のための史料と資料の部屋(鎌倉時代)

建暦三年 源実朝御成始供奉人

建暦3年(1213)8月26日の源実朝の御成始(大江広元亭)に供奉した面々

行列順史料記載名実名備考
随兵小山左衛門尉朝政小山朝政小山政光の子
随兵三浦九郎右衛門尉胤義三浦胤義三浦義澄の子
随兵藤右衛門尉景盛安達景盛安達盛長の子
随兵佐々木左近将監信綱佐々木信綱佐々木定綱の子
随兵善右衛門尉康盛三善康盛
随兵武田五郎信光武田信光武田信義の子。伊沢信光とも
随兵伊豆左衛門尉頼定毛利頼定義隆流源姓毛利氏
随兵大井右衛門尉實平春日部実平
随兵狩野民部大夫行光狩野行光工藤茂光の子
随兵伊賀太郎兵衛尉光季伊賀光季伊賀朝光の子
前駆前右馬助範氏
前駆右馬権助宗保
前駆伊賀左近蔵人仲能田村仲能田村仲教の子
前駆三條左近蔵人親實
前駆橘三蔵人惟廣橘 惟広橘以広の子
殿上人出雲守長定難波長定藤原北家難波家の経長の子
御後相模守義時北条義時北条時政の子
御後駿河守義信 ※惟義の誤記大内惟義平賀義信の子
御後武蔵守時房北条時房北条時政の子。時房流北条氏の祖
御後遠江守親廣大江親広
御後修理亮泰時北条泰時北条義時の子
御後駿河左衛門大夫惟信大内惟信大内惟義の子
御後美作左近大夫朝親源 朝親
御後伊賀守朝光伊賀朝光藤原光郷の子。伊賀氏の祖
御後前皇后宮権亮盛景
御後筑後守頼時村上頼時村上経業の子
御後山内刑部大夫経俊山内経俊山内首藤俊通の子
御後善民部大夫康俊三善康俊
御後藤民部大夫行光二階堂行光二階堂行政の子
御後三浦左衛門尉義村三浦義村三浦義澄の子
御後結城左衛門尉朝光結城朝光小山政光の子。結城氏の祖
御後中條左衛門尉家長中条家長横山党
御後小野寺左衛門尉秀通小野寺秀通小野寺義寛の子
御後加藤左衛門尉景長加藤景長加藤景廉の子
御後嶋津左衛門尉忠久島津忠久島津氏の祖
御後宇佐美右衛門尉祐政宇佐美祐政宇佐美祐茂の子
御後江左衛門尉能親大江能親
御後江兵衛尉能範大江能範
御後佐貫兵衛尉廣綱佐貫広綱
御後天野右馬允泰高天野泰高
御後境兵衛尉常秀境 常秀千葉胤正の子。千葉氏流境氏の祖
御後波多野中務丞忠綱波多野忠綱波多野義通の子
検非違使山城判官行村二階堂行村二階堂行政の子
出典:『吾妻鏡』建暦3年(1213)8月26日