日本史研究のための史料と資料の部屋(鎌倉時代)

建長4年 格子番

建長4年(1252)

所属史料記載名実名備考
一番陸奥彌四郎時茂北条時茂極楽寺流北条重時の子。常盤流北条氏の祖
一番越後五郎時員北条時員佐介流北条時盛の子
一番足利次郎顕氏足利兼氏足利泰氏の子。渋川氏の祖
一番大蔵権少輔朝廣結城朝広結城朝光の子
一番下野七郎経綱宇都宮経綱宇都宮泰綱の子
一番那波右近大夫政茂那波政茂大江氏流那波宗元の子
一番城次郎頼景安達頼景安達義景の子
一番武藤左衛門尉景頼武藤景頼
一番筑前次郎左衛門尉行頼二階堂行頼(筑前家)信濃流筑前家の二階堂行泰の子
一番和泉五郎左衛門尉政泰天野政泰天野政景の子
一番足立三郎右衛門尉光氏足立元氏
一番伊豆太郎左衛門尉實保
二番北條六郎時定北条時定(得宗家)得宗家北条時氏の子。阿蘇流北条氏の祖
二番伊賀前司時家小田時家
二番城五郎重景安達重景安達義景の子
二番駿河新大夫俊定
二番遠江次郎左衛門尉光盛佐原光盛
二番大曽彌次郎左衛門尉盛経大曽祢盛経安達時長の子
二番土肥三郎左衛門尉惟平土肥維平
二番和泉次郎左衛門尉行章二階堂行章隠岐流和泉家の二階堂行方の子
二番出羽三郎行資二階堂行資
二番佐々木四郎兵衛尉泰信佐々木泰信
二番河内三郎祐氏宇佐美祐氏
二番肥後四郎兵衛尉行定大見行定
三番相模式部大夫時弘北条時弘
三番遠江太郎清時北条清時(時房流)時房流北条時直の子
三番大隅前司忠時島津忠時島津忠久の子
三番梶原右衛門尉景俊梶原景俊
三番能登右近蔵人忠時 ※仲時の誤記
三番信濃四郎左衛門尉行胤 ※行忠か二階堂行忠か
三番肥後次郎左衛門尉為時狩野為時
三番式部兵衛太郎光政伊賀光政伊賀宗義の子
三番武藤右近将監兼頼武藤景頼
三番狩野五郎左衛門尉為廣狩野為広
三番加藤左衛門三郎景経加藤景経
三番相馬次郎兵衛尉胤継相馬胤継
四番遠江六郎教時北条教時名越流北条朝時の子
四番武蔵太郎朝房北条朝房大仏流北条朝直の子
四番長井太郎時秀長井時秀
四番肥後前司為定狩野為定
四番出羽次郎左衛門尉行有二階堂行有隠岐流出羽家の二階堂行義の子
四番安藝右近蔵人重親藤原重親藤原親光の子
四番小山七郎宗光小山宗光
四番彌次郎左衛門尉親盛
四番筑前三郎行實二階堂行実信濃流筑前家の二階堂行泰の子
四番常陸次郎兵衛尉行雄二階堂行清(行雄)隠岐流常陸家の二階堂行久の子
四番土屋太郎左衛門尉忠宗土屋忠宗
四番武藤次郎兵衛尉頼泰武藤頼泰武藤景頼の子
五番相模八郎時隆北条時隆時房流北条時村の子
五番上総三郎満氏足利満氏吉良満氏
五番参河前司頼氏新田頼氏世良田頼氏
五番城九郎泰盛安達泰盛安達義景の子
五番長井蔵人泰元長井泰元
五番隠岐三郎左衛門尉行氏二階堂行氏隠岐流隠岐家の二階堂基行の子
五番出雲六郎左衛門尉宣時 ※五郎か波多野宣時波多野義重(宣政)の子
五番伊賀次郎左衛門尉光房伊賀光房
五番薩摩七郎左衛門尉祐能安積祐能安積祐長の子
五番大須賀次郎左衛門尉胤氏大須賀胤氏
五番豊後三郎左衛門尉忠直島津忠直島津忠久の子
五番山内新左衛門尉成通山内成通
六番越後右馬助時親北条時親佐介流北条時盛の子
六番壱岐前司基政後藤基政後藤基綱の子
六番壱岐五郎左衛門尉基隆後藤基隆後藤基綱の子
六番大友式部大夫頼泰大友頼泰大友親秀の子
六番上野五郎兵衛尉重光山川重光結城朝光の子
六番伊東六郎左衛門尉祐盛伊東祐盛伊東祐時の子。稲用祐盛とも
六番伯耆三郎左衛門尉時清葛西時清
六番出羽藤次左衛門尉頼平中条頼平
六番小野寺四郎左衛門尉通時小野寺通時
六番長 雅楽左衛門尉朝連長 朝連
六番平賀新三郎惟時平賀惟時
六番鎌田兵衛三郎義長鎌田義長
出典:『吾妻鏡』建長4年4月3日