日本史研究のための史料と資料の部屋(鎌倉時代)

正元2年 昼番

正元2年(1260)

所属史料記載名実名備考
一番相模太郎北条時宗得宗家北条時頼の子
一番弾正少弼業時北条業時極楽寺流北条重時の子。普恩寺流北条氏の祖
一番尾張左近大夫将監公時北条公時名越流北条時章の子
一番民部権大輔時隆北条時隆時房流北条時村の子
一番足利上総三郎足利満氏吉良満氏とも
一番秋田城介泰盛安達泰盛安達義景の子
一番秋田六郎顕盛安達顕盛安達義景の子
一番下野四郎左衛門尉景綱宇都宮景綱
一番遠江十郎左衛門尉頼連三浦頼連
一番筑前五郎左衛門尉行重二階堂行重信濃流筑前家の二階堂行泰の子
一番武藤左衛門尉頼泰武藤頼泰武藤景頼の子
一番信濃判官左衛門尉行宗二階堂行宗信濃流判官家の二階堂行忠の子
一番渋谷左衛門太郎朝重渋谷朝重
二番越前前司時廣北条時広時房流北条時村の子
二番遠江右馬助清時北条清時(時房流)時房流北条時直の子
二番武蔵五郎時忠北条時忠(宣時)大仏流北条朝直の子
二番和泉前司行方二階堂行方隠岐流の二階堂行村の子
二番出羽大夫判官行有二階堂行有隠岐流出羽家の二階堂行義の子
二番和泉三郎左衛門尉行章二階堂行章隠岐流和泉家の二階堂行方の子
二番淡路又四郎左衛門尉宗泰長沼宗泰
二番式部太郎左衛門尉光政伊賀光政伊賀宗義の子
二番隠岐三郎左衛門尉行景二階堂行景隠岐流隠岐家の二階堂行氏の子
二番大須賀新左衛門尉朝氏大須賀朝氏
二番佐貫七郎廣胤佐貫広胤
二番江戸七郎太郎長光江戸長光
二番大泉九郎氏廣大泉長氏
三番陸奥左近大夫将監義政北条義政極楽寺流北条重時の子。塩田流北条氏の祖
三番相模三郎時輔北条時輔得宗家北条時頼の子
三番備前三郎長頼北条長頼名越流北条時長の子
三番小山出羽前司長村小山長村
三番上野大夫判官廣綱結城広綱結城朝広の子
三番大隅修理亮久時島津久時(久経)島津忠時の子
三番城四郎左衛門尉時盛安達時盛安達義景の子
三番周防五郎左衛門尉忠景島津忠景越前島津氏の忠綱の子
三番寺嶋小次郎時村寺島時村
三番筑前次郎左衛門尉行頼二階堂行頼(筑前家)信濃流筑前家の二階堂行泰の子
三番出羽七郎左衛門尉行有二階堂行有隠岐流出羽家の二階堂行義の子
三番一宮次郎左衛門尉康有一宮康有
三番本間彌四郎左衛門尉忠時本間忠時
四番新相模三郎時村北条時村(政村流)北条政村の子
四番越後右馬助時親北条時親佐介流北条時盛の子
四番宮内権大輔時秀長井時秀
四番木工権頭親家藤原親家宗尊親王の近臣
四番日向前司祐泰宇佐美祐泰
四番城彌九郎長景安達長景安達義景の子
四番大曽彌太郎左衛門尉長経大曽祢長経
四番上野十郎朝村結城朝村結城朝光の子
四番加藤左衛門尉景経加藤景経
四番武石四郎左衛門尉長胤武石長胤千葉氏流武石朝胤の子
四番阿曽沼小次郎光綱阿曽沼光綱藤姓足利氏流阿曽沼親綱の子
四番波多野小次郎定経波多野宣経
四番小野寺新左衛門尉行通小野寺行通
五番刑部少輔教時北条教時名越流北条朝時の子
五番遠江七郎時基北条時基名越流北条朝時の子
五番新田参河前司頼氏新田頼氏世良田頼氏
五番縫殿頭師連中原師連
五番美作兵衛蔵人家教
五番城五郎左衛門尉重景安達重景安達頼景の子
五番河越次郎経重河越経重
五番筑前四郎左衛門尉行佐二階堂行佐信濃流筑前家の二階堂行泰の子
五番甲斐三郎左衛門尉為成狩野為成
五番土肥四郎實綱土肥実綱
五番善五郎左衛門尉康家
五番樺野四郎左衛門尉景氏
五番二宮彌次郎時元二宮時元
六番越後守實時北条実時金沢流北条実泰の子
六番越後四郎顕時北条時方(顕時)金沢流北条実時の子
六番後藤壱岐前司基政後藤基政
六番武藤少卿景頼武藤景頼
六番上総前司長泰大曽祢長泰安達時長の子
六番佐渡五郎左衛門尉基隆後藤基隆後藤基綱の子
六番壱岐新左衛門尉基頼後藤基頼後藤基政の子
六番伊勢三郎左衛門尉頼綱二階堂頼綱信濃流伊勢家の二階堂行綱の子
六番薩摩七郎左衛門尉祐能安積祐能安積祐長の子
六番肥後新左衛門尉景氏天野景氏
六番鎌田次郎兵衛尉行俊鎌田行俊
六番渋谷三郎太郎重村渋谷重村渋谷重頼の子
六番早河次郎太郎祐泰早川祐泰
出典:『吾妻鏡』正元2年1月20日